四国八十八ヵ所お遍路旅 車で行く犬との巡礼4日目 第44-60番札所




第44番札所 管生山 大覚院 大寶寺(だいほうじ)



飛鳥時代の用明天皇(585-587)の頃、百済からきた聖僧が十一面観世音菩薩像を山中に安置したのが寺の始まりと伝えられる。

大宝元年(701)に文武天皇の勅願により寺院を建立。元号にちなんで「大寶寺」と号し創建された。

今日は3連休の中日の日曜日です。朝早くから今日も巡拝の旅です。この時点で6時44分。

おっさんの朝は早い。若い頃は自分は夜行性だと思っていたのですが、歳を取ると夜更かしがしんどい・・・。

本堂の前にて。

今回の旅で初の雪が残ってた。だから寒い。標高560mほどの高さがあります。



第45番札所 海岸山 岩屋寺(いわやじ)



弘仁6年(815)に、修行の霊地を探していた弘法大師が、明王鈴の音と頼りに入山したところ、修行中の法華仙人と出会い、仙人は大師の修法に篤く帰依し、全山を献上して大往生したという。

そこで大師は木像と石像の二体の不動明王を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、石像は奥の院の秘仏として岩窟に封じ込め、全山を本尊・不動明王として護摩修法をされた。

この周辺に有料駐車場が点在していますが、どれも似たような金額です。有料駐車場6回目。

山門にて。日曜日だからなのか人が多いのです。今まで平日で少なかったのでびっくりです。

坂道を10分ほど登ります。

崖をくり抜いたような場所に納経所の建物が建っているのですが、崖が崩れそうで怖いのですが・・・。



本堂の横も崖が迫っています。落石注意の注意看板があります。この時点で7時25分。


この日の前日に新しく車(中古車)を納車したのですが、岩屋寺の帰りでルームミラーを見ていると後ろのリアガラスに手形がいっぱい付いているのに気が付きました。

自分であんな場所を触った記憶はないので、車屋がちゃんと拭いてないのか?と思っていたのですが、手形が小さいんですよ。どうしても気になったので、車を停めて確認する事にしました。


車を降りてリアガラスに付いている手形を確認すると、私の手の半分の大きさしかありません。

明らかに小さな子供の手形です。それもいっぱい付いていました。











きゃーーーーーーー!!!!!





寺の帰りに怖すぎるんですけどーーーー!!

そしてよく確認すると車内側から触っているので、外からではないようです。

バックドアを開けてウエットティッシュで念仏を唱えながら拭きました。そうしたら奇麗に取る事が出来ました。

その後もずっと手形がまた復活したらどうしようか?とか思いながら車を運転してました。

念仏を唱えながらのドライブは素敵でした。

前日から岩屋寺に行くまでは全然気づかなかったんですよ。

車は商用車なので、ファミリーカーの様に子供が乗る事はないと思うのですが・・・。


第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺(じょうるりじ)



和銅元年(708)東大寺の大仏開眼の四十四年前、布教宣布のために伊予国を旅していた行基菩薩がこの地を仏教布教の最適地と感得し伽藍を建立。

この時行基は、白檀の木で薬師如来を彫像して本尊とし、脇仏に日光・月光菩薩、眷属として十二神将を刻み安置した。

本堂にて。

この寺からは、行く寺すべての駐車場がほぼいっぱいです。でもすぐに入れ替わります。

樹齢千年を越えるそうです。寺や神社にある樹は見事なものが多いです。

第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺(やさかじ)



奈良時代から1300年余りも続く寺で、修験道の開祖・役小角の開基。大宝元年(701)に文武天皇の勅願寺として伊予国司・小千玉興公が七堂伽藍を建立するにあたり、大堂山に八ヶ所の坂道を切り抜いて道路を造ったところから「八坂寺」と号した。

駐車場から。右側にある正面にまわります。



山門がある正面です。この時点で8時32分。

各寺には「真言(しんごん)」があります。サンスクリット語のマントラの訳で、「(仏の)真実の言葉」という意味。

「大日経」などの密教経典に由来し、真言宗では、大日如来の「光明真言」「般若心経」がもっとも大切な真言と言われ、四国遍路では必ず唱えるものとされる。

真言は本尊ごとに違うので、般若心経を唱えた後に、それぞれの本尊の真言を3回唱えるのが作法です。



第48番札所 清滝山 安養院 西林寺(さいりんじ)



天正13年(741)四国を旅していた行基菩薩が、伊予の国司である越智玉純と出会い、徳威の里に一宮別当時として堂宇を建立。

この時、行基自らが本尊の十一面観世音菩薩像を彫像して安置した。

駐車場からの山門。

本堂の前。この時点で9時7分。

納経(のうきょう)とは

遍路では本堂と大師堂の2つのお堂に納経する。納経には、お寺で実際にお経を上げる(読経)方法の他に、般若心経などのお経を書き写したもの(写経)を納める方法があり、寺前に置いてあります。


第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺(じょうどじ)



天平勝宝年間(749-757)に孝謙天皇の勅願で、恵明上人が行基菩薩作の釈迦如来像を祀り開創。その後弘法大師が巡錫した時に、荒廃していた伽藍を再興して四国八十八ヵ所霊場に定めた。

鎌倉幕府時代の建久3年(1192)には、源頼朝が家門の繁栄を祈願し、堂塔を修復。

有料駐車場7回目。寺の前にも駐車場はあります。

山門の前。門番の像があります。金剛力士像が安置されている場合は仁王門になるそうです。

本堂の前。この時点で9時26分。

他の人をあまり写さないようにしているので、我々だけがいる訳ではありません。

第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺(はんたじ)



天平勝宝年間(749-757)に孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が開基し寺号は光明寺といった。本尊は行基によって彫像されたと伝わる薬師如来像。

弘仁年間(810-824)には弘法大師が長く逗留し、四国霊場第50番札所に定め、名前を繁多寺に改めた。

駐車場からの山門。横に池があり、鴨が泳いでいました。エサあげたい・・・。

本堂の前。口元が素敵です。

ここも寺と神社が併設されています。この時点で9時48分。

今まで寺の鐘をあまり撞く事はなかったのですが、以外と鐘を撞く人が多いのです。

私もならって鐘を撞きました。どこもいい音色なので試して欲しいです。



第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺(いしてじ)



天武天皇の神亀5年(728)に伊予の国司・越智玉純公が霊夢に熊野十二社権現、二十五菩薩が来臨するのを見て、この地を浄域として十二社権現を祀り勅願所と定めた。

本尊は薬師如来で天平元年(729)、行基菩薩が開眼。安養寺と号され法相宗に属していたが、弘仁4年(813)に弘法大師が来錫、堂宇を整え真言宗に改めて第51番札所にしたと伝えられる。

寛平4年(892)衛門三郎伝説により寺名を石手寺と改号。



有料駐車場8回目。270円でしたが、道路の反対側は100円でした。

白衣に書いてある「同行二人(どうぎょうににん)」ですが、常に弘法大師がともに歩いて見守ってくれているという考え方です。遍路という「行」を弘法大師と二人で行っているという事です。

道後温泉の周辺であるこの場所は仕事でもよく通るので、馴染みのある場所です。

駐車場を抜けると参道があります。ここの黒猫とバトルがありました。

仁王門の前。山門の内側に何かあります。

巨大な草鞋があります。4mはありそうな大きさです。光るものは1円玉を差し込んでありました。

八十八霊場都卒天洞の洞窟入口。

写真は明るいのですが、実際は真っ暗に近いです。

宝物殿。テーマパークみたいな寺という印象です。巡礼者よりも道後温泉の近くなので、観光客が物凄く多い寺です。数百人はいたと思います。

境内の堂塔は国宝、重要文化財が多くあります。

重要文化財の本堂。全部見てたら時間かかるよこれは。街中にあるのに敷地も広いです。この時点で10時30分。


第52番札所 瀧雲山 護持院 太山寺(たいさんじ)



用明天皇2年(587)豊後の国の真野長者が商いのため船で大阪に向かう途中、高浜沖で暴風雨に襲われた。観音菩薩に無事を祈願したところ、光が差し込み高浜の岸で救われた。

長者が光明の輝いていた山の頂に登ると、小さな草堂に十一面観音像が祀られていた。驚いた長者は「我々を救ってくださったのはこの観音様に違いない」と報恩謝徳のため一宇の建立を大願。


豊後で木組みを整え高浜まで運び、一夜で御堂を建立したと伝えられる。

天平11年(739)には、聖武天皇の勅願で行基菩薩が十一面観音像を彫像した。その胎内に真野長者が見つけた小さな観音像を納めて本尊にしたという。

山門にて。ここも駐車場はいっぱいだった。

本堂の前。1305年建立の国宝です。この巡拝の旅は国宝、重要文化財のオンパレードです。

「摩尼車(まにぐるま)」

摩尼とは摩尼宝珠とも、如意宝珠とも言われ、意のままに宝を出すと言われる珠の事です。

仏さまの徳にたとえたり、お経の功徳にたとえたりします。


これを1回まわせば、お経を一巻読んだのと同じ功徳が得られると言われています。これはテレビでチベットの寺とかにあるのを見た事がある。



こっちも本堂?この時点で11時18分。


第53番札所 須賀山 正智院 圓明寺(えんみょうじ)



天武天皇の勅願で行基菩薩が阿弥陀如来像を刻み、和気の海岸に本尊として安置、その後弘法大師が荒廃した諸堂を整備し再興する。

駐車場からの仁王門前。

中に山門があり、奥に本堂があります。この時点で11時45分。

私は第1番札所からの番号順に回っているので「順打ち」です。最後の第88番札所から逆に回る事を「逆打ち」といいます。

逆打ちは順打ちより回りにくく道も険しくなることから、ご利益、功徳が3倍あるとも言われています。

お遍路の開祖であり信仰の対象である弘法大師は今でも四国八十八ヵ所を順打ちで巡っていると信じられています。

つまり、逆打ちでお遍路をすることで必ずどこかで弘法大師とすれ違う、または出会えると言われています。

また、4年に1度のうるう年は逆打ちの年とされており、逆打ちでお遍路をする人が多くなります。



第54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺(えんめいじ)



養老4年(720)に、行基菩薩が来島海峡を一望する近見山に不動明王を刻み、本尊そして開基。

後に嵯峨天皇の勅願により弘法大師が巡錫して再興、近見山宝鐘院延命寺と号した。

駐車場からの山門。



本堂の前。左手を登ると

大師堂になります。この時点で12時50分。


第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊(なんこうぼう)



伊予の国主・越智玉澄公が、文武天皇の勅願を受けて大宝3年(703)、大山積明神を大三島に勧請。大山祇神社と二十四坊の別当寺を建立した。

しかし、海を渡らないと参拝に行けないため、和銅5年(712)にその別宮を越智郡日吉村に移転。同時に別当寺院として八坊を移した。南光坊は当地に勧請され「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭された。

本堂の前。

大師堂の前。右側にある山門に注目。この時点で1時12分。

仏教の四天王である西方の広目天。

南方の増長天。

北方の多聞天。

東方の持国天。ゲームの女神転生とかしてたらお馴染み?激アツだ!

フィギュアが欲しくなってしょうがない。

第56番札所 金輪山 勅王院 泰山寺(たいさんじ)



弘仁6年(815)弘法大師開創の寺。大師はこの地に巡錫し、豪雨のために氾濫する蒼社川に堤防を築き、土砂加持の秘宝を七座巌修した。

満願の日、燃え上がる炎の中に延命地蔵を感得し、祈願成就したので地蔵菩薩を彫造し堂宇を建立。寺名は延命地蔵経十大願の第一「女人泰産」にちなんで太山寺と号し、大師は境内に松を植えて立ち去られた。

入口から左手に本堂。右手に納経所、大師堂があります。

大師堂の前。コタ君は写真の時に、いい子して待つ事が出来るようになりました。この時点で1時34分。



第57番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺(えいふくじ)



嵯峨天皇の勅願により弘仁年間(810-824)に開創。弘法大師が瀬戸内地方を巡錫していた際に、周辺の海で海難事故が相次ぎ、海路安穏を願い、府頭山の山頂で護摩供を厳修された。

その満願の日に、海上に後光がさし、阿弥陀如来が現れた。そこで大師はこの阿弥陀如来を引きあげて堂宇を建て、本尊として安置し霊場に定めた。

奥が本堂。右が大師堂。

大師堂の前。この時点で1時52分。

今日は人が多いので、コタ君がよくかわいいと褒められます。自慢の三男なのだ!


第58番札所 作礼山 千光院 仙遊寺(せんゆうじ)



「おされさん」の愛称で親しまれる仙遊寺は、七世紀後半、天智天皇の勅願により国守・越智守興公が堂宇を建立したのが始まり。


本尊の千手観世音菩薩像は天皇の守護仏として、海から作礼山にやってきた竜女が、一刀刻むごとに三度礼拝して彫造。このことから、山号を作礼山。寺号は千光院と呼ばれていた。

その後、養老2年(718)までの40年間、阿坊仙人という僧がここで修行し、七堂伽藍を整えたがある日、天雲のごとく忽然と姿を消してしまった。この阿坊仙人の伝説に由来して仙遊寺と呼ばれた。

山に登る前に仁王門があります。

駐車場代金ではなく道路維持費が必要。

大師堂の前。

本堂の前。この時点で2時11分。

人間と違って犬は文句も言わずどこまでも付いてきてくれます。

コタ君の心の声が顔に出てる!!

コタ君・・・恐ろしい子!!


第59番札所 金光山 最勝院 国分寺(こくぶんじ)



奈良時代「鎮護国家」を祈念して、聖武天皇の勅願により建立。

天平13年(741)に行基菩薩が開基し、豪壮な七堂伽藍を構えていた。

駐車場からの境内までの道。

本堂の前。

大師堂の前。この時点で2時42分。



第60番札所 石鎚山 福智院 横峰寺(よこみねじ)



横峰寺は西日本最高峰・石鎚山(1982m)の北側中腹、標高750mの山中に建つ霊場。

白雉2年(651)役行者が石鎚山の遥拝所である星ヶ森で修行中、石鎚山の頂に蔵王権現が示現せられた背姿を見て、その尊像を刻み安置して開創。


大同2年(807)には、弘法大師も来錫。42歳の厄除けの護摩を焚き、開運祈願のために石鎚山へ登った。星祭りの修行をしていた大師は結願の日に役行者と同じく蔵王権現の姿を見られたという。

そこで大師はこの山を霊山として、本尊大日如来を刻み安置され、第60番札所に定める。

途中まで石鎚山ロープウェイに行くルートを通るので、馴染みの道でした。

今回屈指の山道です。看板には1月末~2月末まで通行止めと書いてありました。行けないの?と思っていたらみなさんガンガン通っていました。

例年は雪や氷で通れないのだろうと思います。

駐車場に到着ですが、閉鎖してます。

今日はここに来るまでに何台もの車とすれ違いました。かなり疲れます。

駐車場から降りて下へ歩きます。

大師堂の前。

標高750mほどあり、寒いです。

本堂の前。

道が通行止めになったらここの人たちはどうしてるんだろ?陸の孤島状態だと思うのですが。

この時点で4時16分。一日の終わりの場合は打ち留めと言います。今日もお疲れです、家に帰ろう。


まとめ



赤が1日目。黄が2日目。青が3日目。緑が4日目。

今回も全ての寺に駐車場とトイレはあります。

賽銭の小銭がすぐになくなるので、買い物する時は意識して小銭を増やしましょう。

寺の滞在時間は人によってかなり変わってくると思うので、私の参考通過時間を各寺に書いてあります。

第51番札所石手寺は今まで回った寺と違い、人がすごく多い所なのでびっくりします。今までは閑散とした寺が多かったので、同じ八十八ヵ所とは思えません。

第53番札所圓明寺から第54番札所延命寺までの距離はありますが、車では特に問題はないと思います。


今回の難所はやはり第60番札所横峰寺です。距離だけでなく、山道が狭く厳しく、車のすれ違いが大変なので注意が必要だと思います。この時期は例年だと通行止めになるほどなので、道路の凍結にも注意が必要です。



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2件のコメント

はじめまして
ブログランキングからお邪魔してます

八十八ヶ所よりもダックス君が賢すぎるのが気になって気になって!
ちゃんと衣装も身に付けてる!!

犬は人と違って文句を言わずにどこまでも付いてくるって笑た!
うちにもトイプーがいますが、同感!!文句を言わずに可愛いですよね

またお邪魔します

ありがとうございます。
うちのコタ君は「外では」いい子です。
知らない人におもちゃにされても健気に耐えてるワンコです。

トイプーも可愛いですね、ドッグランで見たトイプーの運動能力の高さにびっくりした事があります。

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